吉旦日記

きったんの日記

自宅で孤独死したい人たち

病院や施設でなく自宅で死にたいと願う人は多いのです。

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出典:https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2012/gaiyou/s1_2_3.html

内閣府のサイトを見ると、半数以上の人が最期は自宅で迎えたいと答えています。これは病院や施設のほぼ2倍です。

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出典:https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2012/gaiyou/s1_2_3.html

しかし、多くの人は自宅で最期を迎えることはなく、実に8割近くの人が病院で亡くなります。

昭和初期の頃はほとんどの人が自宅で最期を迎えていたことを考えると、医療の進歩や福祉制度の拡充で自分の迎えたい最期を選択できなくなったというなんとも皮肉な話です。

さて、先日マンションでの孤独死についての記事を書きました。

マンション管理会社と孤独死との戦い - 「物欲に負けた日」跡地

孤独死というと、なんとも寂しく暗いイメージです。しかし、考えようによっては自宅で最後を迎えるという希望を叶えることができた人たちなのかもしれません。

先日書いた孤独死の記事に「マンション側で生存確認をできるようにすればよいのでは?」という趣旨のコメントをいただきました。

これに対して僕が思ったのは「技術的には可能だし、コスト面でも孤独死が発生したときの損失を考えるとやる価値はある。でも、高齢のお客様の多くは生存確認を拒否するだろう。」ということです。

実際に僕の職場でも「生存確認ができる設備を導入してはどうか」という話は出ます。

しかし、生存確認をするということは何らかの形でお客様を監視するということです。まぁ、多くの場合は「見守り」なんて体よく言い換えていますけどね。

監視に対する拒絶反応は強いです。直接的に監視せずに生存確認をするために、長い時間水が使われなかったら警告するとか、電気の使用量が変わらなかったら警告するようなシステムもありますが、そうしたシステムですら嫌がる人は多いものです。

そしてなにより、死にそうなときに助けに来なくてよいと思っている人がいるのです。救急車が来て病院に連れて行かれて延命処置を受ける。そして病院で亡くなる。それならそのまま死んでしまいたいという方もいるのです。

以前、お部屋で倒れているお客様が発見され、救急車を呼んだものの、搬送を拒否されたことがありました。そのまま黙って死なせるわけにもいかないし、同僚のスタッフが何時間も説得してやっとのことで病院まで行ったそうです。その後、退院の見込みがないということで親戚の方が退去の手続きに来られました。

おそらく病院で最期を迎えられたのでしょうが、その方にとっては搬送されてよかったのか、それとも発見されずに孤独死したほうがよかったのか。。。本人の希望はどちらかといえば孤独死だったのでしょうね。

一人暮らしで家族に看取られながら亡くなるという選択肢がない場合、病院で死ぬより孤独死したい人たちもいる。これが孤独死の問題をより難しくしている気がします。