吉旦日記

きったんの日記

台風19号と初めての避難所で過ごした13時間

台風19号は歴史的な降雨量の大雨となり、各地で河川の氾濫、洪水の被害が出ているようですね。お亡くなりになっている方や自宅を失くした方、未だ災害の真っ只中の方もいるなかこういうことを言うのも申し訳ない気がするのですが、僕は幸いにも家族・家財などすべて無事に過ごすことができました。

しかし、台風が通過した昨日は避難指示も出て、人生で初めての避難所生活をしました。避難所まで子どもたちを連れて食料や飲料水などの荷物を運び、避難してきた人で密集する学校で過ごした13時間。とても疲れました。

そんなわけで、初めての経験ですが、何かの役に立つこともあるかもしれないので避難所での生活などをまとめておきたいと思います。

僕の家は賃貸の一軒家なのですが、多摩川の近くにあり、自治体のハザードマップでは「家屋倒壊等氾濫想定区域」に指定されています。多摩川が氾濫したら家壊れるってことじゃないですか。

ハザードマップでは多摩川の氾濫は「2日間の総雨量588mm」を想定しているとのこと。これは1000年に1回程度発生する可能性のある降雨量だそうです。しかし!今回の台風19号は予想の時点で「24時間の総雨量500mm」なんて言われていて、1000年に1回の大雨を軽く超えているレベル。

こりゃだめだ!避難するしかない!ということで前日の11日から避難の準備のために米を炊いておにぎりを作ったり、緊急時の持ち出し用に用意している防災グッズ以外に避難所に持っていくものを荷造りしたりしておりました。

早めに避難所に行けば多めに荷物持っていけますしね。なんせ家が倒壊するかもしれないのですから食料とか着替えとかできる限り持っていかないといけないと思いまして。

当日の12日には朝から市の公式サイトの避難所の開設情報を細かく確認して、10時頃には避難所が開設したっぽいというので僕が現地の様子を見に行きました。それからみいちゃんにミルクをあげたり、軽く腹ごしらえをして、11時には家族で避難所に移動しました。

台風の上陸は15時ころの予定ですが、12時ころから雨風は強くなるという予想でしたし、4歳と0歳6ヶ月の乳幼児2人を連れて暴風雨のなか避難所まで行くよりは早めに行くに越したことはないですからね。僕たちが避難所についたときには10世帯くらいは避難してきていたと思います。

その後、台風の上陸までは時間がありそうだったので僕だけ自宅に戻って、追加で食料などを避難所に運びました。水を入れるだけで食べられるアルファ米や缶詰、液体ミルク、飲料水など10日分は持ち込みましたね。

避難所では最初は家庭科室のようなところに案内されて椅子に座って過ごしていましたが、段々と避難してくる人が多くなり、12時ころには体育館に移動することになりました。

体育館では昔体育の時間によく使った白い(汚れて灰色になってるけど)体育マットを1枚貸してくれ、基本的には僕と嫁ちゃんとゆうちゃん(4歳)とみいちゃん(6ヶ月)の4人はその上で過ごすという感じでした。体育マット1枚でたたみ1畳くらいなんでなかなか狭いですね。

とはいっても最初の頃はまだ避難してくる人数も少なくマットからはみ出て遊ぶこともできました。ゆうちゃんが描いた絵のキャラクターを使ってごっこ遊びをしたり、家から持ってきた絵本を読んだり、ゆうちゃんの機嫌も悪くなく、余裕もありました。

お昼は家から持ってきたおにぎりとインスタント味噌汁。最初から乾パンとかだと味気ないですからね。みいちゃんには液体ミルク。防災用に買った液体ミルクはそのまま飲ませられるので本当に楽で便利でした。普段は粉ミルクなのでちょっと心配でしたが、ちゃんと飲んでくれました。

その後、時間が経つごとに徐々に避難してくる人が増えてきて、14時ころに市の担当者から「もっと大きい避難所に向かうバスが来るから協力できる方は移動してください。」というアナウンスがありました。小さな子供や高齢者、障害のある人がいない世帯を優先に100人くらいの方が移動したでしょうか。

おそらく河川に近い避難所は避難者が多くなるので河川から離れた避難所に移動させるのが目的だったのでしょう。僕たちは子供連れなのと荷物が多いので移動はしませんでした。予想通り台風が上陸した15時ころから避難してくる人の人数が増え、受付は行列ができていました。

ところで、今回の台風で恐れられているのは洪水です。1階にある体育館では洪水には耐えられません。いずれは校舎の3階以上の階に移動しなければなりません。避難してくる人も増えて体育館もいっぱいになったということで17時ころには校舎への移動が始まりました。移動した教室には体育館で借りたようなマットはなく、皆自分たちで用意した毛布やブルーシートを敷いていました。

我が家は災害時用に簡易エアマットを用意していたので空気を入れて膨らまして、その上で過ごしました。硬い床の上でブルーシートのような薄いシートだけだったらかなり辛いと思います。マットがあってよかった。しかし、場所は体育マットよりさらに狭くなってしまいました。

狭いだけならまだ良いのですが、換気もできないので空気も悪いし、人の密度が高いのでとにかく暑い。空調も入ってはいるのですけどね。そして遊ぶスペースなどありません。ゆうちゃんは4歳ですからただ黙って過ごすのはまだまだ辛いですね。ここからは家から持ってきたニンテンドースイッチでゲームをしたり、スマホYou Tubeを見たりして過ごしました。

しかし、校舎の中は防音がしっかりしているのか体育館では聞こえていた大きな台風の音がまったく聞こえません。おかげで安心して過ごせました。

18時ころに市から避難指示が出て、対象地域は全員避難という状況になりました。これでさらに混乱するかと思いましたが、このときは校舎の別のエリアを開放し、さらに状況が悪くなることはありませんでした。

で、ここからの時間がとにかく長くて。17時から22時ころまで5時間はこの環境でただひたすら耐えるだけの持久戦でした。20時ころには周りの人たちも疲れた様子で、小さな子どもたちは我慢できなくなったのかいろいろな方向から鳴き声や叫び声が聞こえるようになってきました。体も動かせないから体が痛い。ゆうちゃんは静かに過ごしているもののだんだんストレスが溜まってきているように感じます。

まぁ、でも耐えるしかない。避難所では耐えるしかないのだなと思いました。

そして、22時ころには雨がかなり弱くなり、もう氾濫はないだろうという雰囲気になってきました。校舎の下の階に行く人も多くなり、ある程度自由に歩ける感じになったので、ゆうちゃんと校舎内を散歩したり、スペースがあるところでダンスをしたりして精神的にも余裕が出てきました。

そして23時。ついに。。。

僕が先行して自宅に被害がないことを確認し、24時には自宅に戻ることができました。11時から24時まで約13時間避難所で過ごしたことになります。子どもたちは自宅につくとすぐに爆睡してしまい、僕と嫁ちゃんは安心したらお腹が空いて夜食にカップラーメンを食べました。

ところで、途中から6ヶ月の乳児であるみいちゃんの話がまったくでてきませんでしたが、ヤツは避難所でのあの環境でも常に上機嫌でニコニコしてるかミルク飲んでるか寝てるかしてました。超安定の手間いらず。

あと、避難所に大量に持ち込んだ食料ですが、僕たちは1日で帰れたのでおにぎりとお菓子以外ほとんど手付かず、防災用の備蓄食はすべて残りました。その他、家に帰れないことを想定して、ランタンとか、充電器とか、着替えとか、ゲーム機とか、パソコン2台とか、まぁそれなりに大量に持ち込んでいたので帰りも大変でしたよ。食料は自宅が浸水してしばらく帰れなさそうな方たちにかなり配りましたけどね。

被害がなかったのに贅沢な話ですが、やはり避難所生活は疲れました。今日は朝から頭痛がして、風邪でもひいたのだろうかと思ったのですが、嫁ちゃんが肩こりじゃないかというのでストレッチをして、嫁ちゃんにマッサージしてもらったらずいぶん楽になりました。体育館や教室で雑魚寝で過ごすというのはやはり辛いものがありますね。

たった13時間ほどの避難所生活でこんなに疲れるなら、自宅に帰れなくなり何日も避難所で過ごす被災者の方々はどれほど大変だろうかと思いました。