吉旦日記

きったんの日記

文章化という作業は情報の取捨選択を伴う

ブログを書くようになって文章をよく書くようになりました。それもビジネス文書など以外で、自分でテーマを決めて不特定の誰かに読まれる文章を書くというのはブログをやっていなければほとんど経験しないことです。

そんな大変なことを日々やっているのに楽しいと思うのだからブログというものは不思議です。

ところで文章でモノゴトを表現するって難しいですね。

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「花を見た」と言ったら僕が花を見たことは伝わるけど、それ以上は何もわからない。「綺麗な花を見た」と書けば花を見て綺麗だと思った僕の気持ちは伝わるかもしれないけど、どんな花だったかはイメージできない気がする。「黄色いバラを見た」といえば少しは具体的になる。そうしていろいろと考えた結果、どんどん文章が長くなってしまうのです。

それで「今朝起きたらダイニングテーブルの上に一輪の花が飾ってありました。見事に咲いた黄色いバラで、とても綺麗でした。」という文章を書き、さらに(花がさしてある花瓶について説明したほうが良いのでは?いや、まず先に我が家のリビングにダイニングテーブルがあることを説明しないといけないのでは?)と余計なことを書きたくなってしまいます。

でも本当に書きたいのは花を飾ってくれた人の気持ちだったり、その花を見て喜ぶ家族のことだったりするわけです。

伝えたいことを伝える文章を書くにはそれ以外のものを削ることも必要なのにどうも僕はそれが苦手なのです。この記事もなんだかムダに長くなってきた気がします(笑)

たぶんこれは文章力というより思いきりの悪い優柔不断な性格が原因なのでしょう。